お店ができるまでのストーリー

下半身痩せ専門パーソナルトレーナーの飯沢芳明です。このページではお店を開業するまでの経緯や、なぜ下半身痩せを専門にしたのか?どのような決意で日々指導をしているのかをご紹介します

下半身痩せ専門パーソナルジム Style A 芝公園は、2015年9月1日に開業しました。

当時は、パーソナルトレーニングがブームになっていて、「1か月で〇kgの減量に成功!」「2か月後、ムキムキボディに!」などのキャッチーな情報が乱立していました。

一方で「体重が減ったけど下半身は痩せなかった」「何をしても下半身が痩せない」など下半身痩せに関する情報が少なく、下半身痩せ出来ずに悩んでいる方が多い事にも気が付きました。

体重を減らすでもない!筋肉をムキムキにするでもない!本当の悩みを解消したい!

そんな使命感から下半身痩せ専門のパーソナルジムは誕生しました。

お店を開業するまでの経緯・・・

飯沢芳明は、山形の人口1万人にも満たない片田舎で生まれ育ちました。

小さい頃から何でも一人でやりたがるタイプで、友達と遊んでいても単独プレーが多かったり、自分の好き勝手にしたいがために一人で遊ぶことが多い少年でした。

そんな少年が中学生になり、陸上競技と出会いました。

彼が専門にしていたのが長距離走。しかし、何でも一人でやりたい彼は、部活の練習をサボってまで、自宅で一人トレーニングすることを好んでいました。幼少の頃と何も変わらないまま中学生になってしまったのです。

そんな彼にも長所があり、のめり込んで情報収集することに長けていたのです。陸上と出会ったことでスポーツの専門書を読んだり、ネットで情報を検索してみたりと、みるみる長距離にのめり込んでいきました。

そんな長距離ランナーとしての選手生活でしたが、練習量とは相まって全く目が出ず、大会ではいつもビリを走っていました。しかし、彼はあきらめず練習を重ね、ひたすらタイムを伸ばすことだけに注力していたのですが、それでもタイムは伸びず、大会は相変わらずビリのまま、、、

とうとう高校2年の秋に燃え尽きてしまい全く走れなくなってしまったのです(ガビーン)

 

「これまで5年間、自分なりに研鑽を重ねてきた結果がこれか・・・」

彼は失意の底に落ちました。

 

そんな時、気晴らしで練習したハンマー投げが転機となりました。(ハンマー投げとは室伏広治選手に代表されるあの競技です。)

見よう見まねでハンマーを投げてみると、

「あれ?飛んじゃった・・・」

長距離ランナーである彼は超がつくほどのガリガリ(172cm 56kg)それが何と!砲丸投げを専攻していた友人より遠くに飛ばしてしまったのです。

6kgちょっとの重りが、自分の手元を離れ遠くに飛んでいく様はとても快感でした。

「どうしたらもっと遠くに投げれるかなぁ~」

「いや、今のは失敗だ。次はこうしてみよう」

「もっと投げたい!」

のめり込みが激しい彼は、気がつくとハンマー投げに夢中になっていました。

学校で誰よりも早く登校しハンマーを投げ、夕方は陸上部全体の練習が終わってから夜8時までハンマーを投げ込み、誰よりも遅くまでグラウンドに残り練習をしました。実際の練習では飽き足らず、夢のなかでも練習をしていました(笑)

「このままハンマー投げだけで生活できたらいいなぁ~」

そんなことを考えていた高校3年生の夏。

そろそろ就職か進学かを問われる時期に来ていました。

(音声配信もやってます → お店が出来るまでのストーリー[前編][後編]

流されるままに入社した最初の会社

就職することを前提に入学した高校でしたので、はなから進学は考えていませんでしたが、

ハンマー投げをしたいという願望を捨てきれず、進路指導の先生にもその事を相談をしてみました。

「先生、陸上だけやれる学校とかないですかね」

「お前、就職希望だろ。時期的に進学は無理だ、そのまま就職しろ」

その頃すでに1社の内定を頂いていたこともあり

「就職するしかないか・・・」なんて流されるままに就職を選択してしまったのでした。

当時の彼はスポーツの専門学校があることすら知らない情報弱者でしたので、就職以外の道は選択肢にも入っていませんでした。しかし、この経験が情報を得ることの重要性について教えられた出来事でもありました。

最初に入社した会社は、地元で一二を争う建設会社。現場監督見習いとして入社した彼でしたが、結局ハンマーを投げる楽しさを捨てきれず、会社が終わった後に練習したり、休みの日は母校に行って練習させてもらったりしていました。

でも、だんだん仕事が忙しくなりハンマー投げどころではなくなってきたのです。

「ハンマー投げがしたいけど、仕事が終わらない・・・」

建設の現場は、工事の工程によって労働時間もまちまち、だから「明日は5時集合な」とか「今日は現場に泊まりだからよろしく」などはよくある話で、ハンマー投げの練習計画も次第に崩れていきました。

ハンマーを投げたい!でも仕事が残ってる。このまま好きな事ができない人生で大丈夫か?

自問自答する毎日。。。

 

そんな時、耳元で誰かが囁いたのです。

「お前、このままでいいのか?やりたい事ができない人生って一体なんだ?」

思い立ったが吉日男は、もうその声をかき消すことが出来なくなっていました。

 

翌日

「あれ?アイツ今日出社してる?」

「最近、アイツ反抗的な目してるからなぁ~、サボったんじゃないっすか」

彼は会社を無断欠勤し、ハンマー投げをしに遠く離れた福島まで逃亡したのです(笑)

携帯の電源も切って思う存分ハンマー投げをしてみた。

「楽しい!やっぱり楽しい!!一生に一回の人生、好きな事して生きてみよう!!」

翌日、会社に辞表を提出し、彼の会社員生活はわずか3カ月で幕を閉じました。

宙ぶらりん、、、そして

会社を辞めたのは良かったのですが、もちろん周囲は猛反対。

「お前、3カ月で一体なにがわかるんだ!一人じゃ何もできない半人前のクセして!」

「そんなにいうなら俺は一人で生きていく、それなら文句ないでしょ」

彼は実家を出ました。

そして、福島に移り人生初の一人暮らし&ハンマー漬けの新生活がスタートしたのでした。

 

福島に移り住み、飲食店でアルバイトをしながら、ハンマー投げに明け暮れる生活。

朝から夕方までバイトして、そのままハンマー投げの練習。近くの高校の生徒に混じって練習させてもらい、また朝を迎える。一度きりの人生、自分のやりたい事をとことんやってみようと、ハンマー投げをアホになるまでやってみたのです。

 

「最高の毎日だ!やっぱりあの時の決断は間違ってなかった!!」

最高の人生!と思ったのも束の間、大好きな事というのは、いざ手に入れてみると意外とあっさりしたもので、夢にまでみたハンマー漬け生活だったのに、数か月過ぎた頃にはとうとう熱が無くなってしまったのです。

周囲に迷惑をかけてまで達成した生活。でも、もう熱がない。。。

完全に目標を見失っていました。

「俺、、、一体なにやってんだろう・・・」

自己嫌悪に陥りながら、罪滅ぼしのようにハンマーを投げる毎日。嫌なことを強制的にさせられる事ほど苦痛なことはありません。

「ハンマー好きだけど、、、どうしたらいいんだろう・・・」

そんな時に転機が訪れました。

家から自転車で40分ほどの所にあった県立図書館で、ハンマー投げに活かそうと思いカラダの勉強をしていたのですが、その帰り道 ふと目にした求人募集の張り紙には「ジムトレーナー募集」の文字が・・・

「そうだ!選手がダメならトレーナーなんてどうだろう」

彼は新たな目標を見つけました。

思い立ったが吉日男は、その日からトレーナーに関する情報を収集し始めました。

実際にトレーナーをしている知り合いがいると聞けば、車で2時間かけて話しを聞きに行ったり、トレーナー募集の張り紙があったと聞けば、その場で電話して面接してもらったりと、今考えれば「ただの痛い奴w」(もちろん面接は不採用でしたが・・・)

そんな時、仙台にあるフィットネスクラブの面接が決まり、スーツ姿でバイトの面接に出かけていきました。福島から仙台の面接会場まで車で2時間。

今でも忘れない雪の降りしきる1月下旬。

面接官のお二人を前にトレーナーを目指したい熱を語った結果、その場で採用をいただくことができました。(ただのアルバイトですが)今までの面接は熱がこもり過ぎていて逆に引かれていたので、その教訓を活かし適度な熱量を発揮してみたのです。

かくして彼のトレーナー人生がスタートすることになりました。張り紙を見てトレーナーを志してからわずか3カ月の出来事でした。(当時19歳)

試行錯誤からの有頂天

仙台で念願のトレーナー人生をスタートすることができました。毎日新しい発見の連続で本当に充実した日々でした。

ジムでお客様と会話し、その時出た質問や疑問はその日のうちに調べて返答し、休憩時間は解剖学の本を読み込み、まさにトレーナー漬けの生活。ここでも彼ののめり込む性格が出てきて、あれやこれやと調べていくうちに

「これは骨格から治さないといけないな」

という結論に行きつき、骨から改善できるカイロプラクティックに興味を持ち始めました。

カイロプラクターになりたいという想いが入ってしまった以上、思い立ったが吉日男はもうカイロプラクティックの事しか考えられなくなり、その日のうちから行動!学校の資料を取り寄せたり、学費のローンを検討してみたりとまたも情報収集に明け暮れていったのでした。

カイロプラクティックの学校に通いたい!と思ったのが仙台に来て1年が過ぎた頃。

時期は2月中旬。4月の入学を考えると時間がなかったのですが、そこはいつもの強行突破で、なんとか4月の入学に間に合い。念願のカイロプラクターを目指す学校へ入学することができました。

カラダについての勉強は今までたくさんしてきたと自負していましたが、いってもそこは独学。体系的に知識を習得できる学校に通ってみると、新たな知識がドバドバ入ってきて、彼の知的好奇心を大いにくすぐる事となりました。朝から晩までカイロの勉強・勉強・勉強。

授業は一番前で食い入るように聴き、わからない所があれば先生を質問攻め、スキルの練習も周りの生徒さんの協力をえて、カラダが壊れるほど練習しました。

その知識はアルバイトをしていたジムでも役に立ち、お客様からの信頼も少しずつ得られるようになっていったのです。

仙台でトレーナーのアルバイトを始めるにあたって、何か新しいことに挑戦したいと思い、トレーナー以外にもスタジオのインストラクターもやってみました。(いわゆるスタッフレッスンってやつを担当しました)

しかし、当時の彼は20歳の小僧。

40名前後の大人を前に完全に怖気づいてしまい、スタジオレッスンでは失敗の連続。毎週月曜の夜にレッスンを担当していたのですが、当時はそれが嫌で嫌で、頭に10円ハゲができてしまうほど思い詰めていました(笑)

ジムトレーナーの方が順調だっただけに、このスタジオインストラクターという役割から早く逃げ出したい。そんな事ばかり考えていました。

しかし、またしてもここで転機が訪れました。

「飯沢くん、新しいプログラムを導入することになったから、東京で研修受けてきてよ」

バーベルを使った筋トレ系のスタジオプログラムを導入するというので、東京に3日間研修に行けとのお達しが、、、

あまり気の乗らないインストラクターの仕事。。。しかし、東京というのは田舎者からすると憧れの地。そんな東京に行けるまたとないチャンス!

東京と聞くだけで、すごい奴らがウジャウジャしていて、海千山千の亡者達がしのぎを削っていると考えていたので、東京研修3日間 生きて帰ってこれるのか・・・不安と期待が入り混じる、そんな状況のなか3日間の研修がスタートしました。

研修がスタートし、実際に東京で活動する人達とお話していると

「やっぱ東京の人はすんげぇ~なぁ~」

「オラも東京さ住みでぇ~」

そんな風な憧れを持つようになったのです。憧れの地であった東京。実際に行ってみるとやっぱり凄いところだった。またしても彼の好奇心がくすぐられてしまったのです。

 

3日間の東京研修が影響し、彼はスタジオインストラクターとして自信を獲得することができたのです!今までのレッスンが嘘のように自信に満ちた表情。心から楽しくレッスンできるようになったのです。

本人が一番楽しんでいるレッスンですから、お客様もそれにつられてどんどんレッスンに参加してくださるようになり、あっという間にスタジオが人で溢れかえりました。

 

「人を笑顔にできる仕事って最高だ!これぞ俺の天職だ!!」

ジムトレーナーとしても順調。カイロプラクターとしても成績優秀。スタジオレッスンも大人気。彼は完全に調子に乗っていました。

 

「俺には何でもできちゃうんだ!」

「この才能を他の業界でも発揮してやる~!」

「トレーナーはもう終わり!俺は東京に行って大金持ちになるんだ!!」

仕事は順調でしたが、たかがアルバイト。朝からバイト、夜は学校。その収入は低く貧困に喘ぐ毎日でした。

トレーナーとしてこれだけ人気になれたんだから、他の業界でもすぐ活躍できる!もっと稼げる業界に行って大暴れしてやるんだぁ~!そんな錯覚と、貧困苦から逃れたいという気持ちが重なり、なんと未経験にも関わらず、飛び込み営業を主とする東京の会社に転職を決めてしまったのです。

トレーナーを辞め、高く伸びた鼻を引っさげ、21歳の若造が東京に乗り込んでいったのです。

どん底・・・そして復帰。

憧れの東京で新生活がスタート!

営業マンとして大金持ちになってやるんだ!と意気揚々乗り込んだのはいいですが、彼が入社した会社は、テレアポから訪問まで一人で全てを担うスタイルでした。営業未経験しかも気が弱く押しが弱い彼にアポが取れるわけもなく、、、日に日に元気を無くしていきました。

「まぁ、たまたまだな。俺様は何でもできるんだ!そのうち凄いことになるぞ~!!」

しかし、その後も1件のアポすら取ることもできず、

「いや、、、たまたまだよ、たまたま・・・」

2ヵ月が経過したころ、事務所に残って電話をかけているのは私だけ・・・

「俺・・・やばいな・・・」

上司からの叱責、電話口のお客様からの罵声。周りの仲間の冷たい視線。。。

有頂天になっていた分、そこからの転落は激しいものがあり

結果、彼は「鬱(うつ)」になりました。

 

「あんな大口叩いて東京に来たけど、俺・・・全然ダメだな・・・」

夜中なんども悪夢を見ては目が覚め、どうしようもない不安感が襲い、吐き気が止まらない。

日曜のサザエさんで呼吸が乱れ、涙が止まらなくなっていました。

そんな時に、知人からフィットネスクラブの無料チケットを頂き、久しぶりスタジオレッスンに参加してみたのです。

今までレッスンを提供する側だった彼が、久しぶりにレッスンを受けてみる。

フィットネス業界を去るんだ!と豪語した手前、こうしてレッスンを受けている自分がどこか情けない。でも、レッスンがスタートし音楽がかかると自然とカラダが反応していきました。

カラダを動かし汗を流している間は嫌なことが全て吹き飛んで、本当に心から楽しい!とそんな風に思えたのです。

「楽しい!やっぱりカラダを動かすのは楽しい!!」

自然と笑顔になり、鬱々としていた気分もいつの間にか晴れていきました。

周りの参加者をみると、みんな笑顔。

 

「そうか・・・あの時、俺のレッスンに参加してくれていた人達は、こんな気持ちでレッスンに参加してくれていたんだ・・・」

仕事や家庭や人間関係。生きていれば自然と嫌なことも出てきます。そんな気持ちを晴らしてくれるスタジオレッスン。こんな楽しい気持ちになれて、一瞬でも嫌な事から解放されるスタジオレッスン。

「俺はなんて身勝手な男なんだ・・・」

「自分のことしか考えていなかった。。。人を笑顔にできる素晴らしい立場にいたのに、それを全部無かったことにしてしまった・・・」

自然と涙があふれてきました。

みんなの期待を裏切り、私利私欲のためだけに業界を去ったことに後悔の念が湧いてきました。仙台でお世話になった人達の笑顔を走馬灯のように蘇ってきて、泣いて泣いて、どん底まで落ちていった時に、、、ぬくっと起き上がりました。

 

「よし、復帰しよう、、、またフィットネス業界に復帰する!!」

思い立ったが吉日男は、翌日 会社に辞表を提出しました。

上司からは物凄い剣幕でまくし立てられましたが、テコでも動かない男 飯沢にとうとう上司も折れて辞表を受理してくれました。

退社するにあたり、当時の部長から人生観を変えられる一言を言われました。

 

「飯沢、俺はこの厳しい業界で働いている分、たくさん人の汚い部分を見てきた。退職する奴はたいてい親が病気になったの、実家に帰るだのと見え透いた嘘をついていく。飯沢、どんな状況になっても汚いウソだけはつくな。」

 

どん底から見つけた大切なメッセージでした。

新たな決意を持って、彼は再びフィットネス業界に復帰したのでした。

極貧・・・そして独立。

フィットネス業界に再び戻り、今度は社員として業界に関わることになりました。目的はただひとつ!

スタジオレッスンでお客様に笑顔の恩返しをすること!

日常のあれやこれやを忘れて、カラダの奥から「楽しい!」をお届けしたかったのです。

カッコいいのはここまでで、プライベートの方は相変わらずの極貧状態(笑)

当時は練馬のボロアパートでゴキ○リと一緒に生活しているような酷い生活でした。

食費は1日500円。税金の支払いに血の気が引いて、家賃1カ月滞納しながらのギリギリ生活でした。

でも、それでも良かったのです。

スタジオレッスンが出来て、好きな仕事に関われて、たくさんの笑顔に囲まれて、確かにお金は苦しいものがありましたが、それで良かったのです。

彼が当時勤務していたフィットネスクラブは関東に5店舗ありましたが、一社員にも関わらず3店舗でレギュラーレッスンを担当し、フリーのインストラクターみたいな事をさせて頂いてました。(そのおかげで睡眠時間は3時間程でしたが・・・)

そんな順調な社員時代でしたが、今度は会社の業績が悪化してしまい、彼はまたしても決断を迫られることになったのです。

このまま残って社員を続けるか?業界を変えるか?フリーのスタジオインストラクターとして独立をするか?

彼は迷わず「フリーで独立」の道を選択しました。

この時の選択が、現在へと通じるとても重要な決断となりました。

情報不足が原因で食の喜びがゼロに

20代前半はボディビルにも挑戦しました。

もともとのめり込むタイプの彼は、トレーナーを始めるにあたって

「トレーナーとして筋トレの指導をするなら、自分もとことんトレーニングのプロになろう!」と決め、ボディビルの世界にも足を踏み入れることにしました。が、しかし!ここでも彼には挫折体験が待っていたのです。

ボディビルの世界は一時期体重を増やし、十分に筋肉を発達させてから一気に絞り込み、あのムキムキなカラダにしていくというセオリーがあるのですが、

彼はもともと体重があまり増えない体質だったので、毎日一生懸命に食べて体重を増やそうとしていたのです。

プロテインもたくさん飲み、3時間おきに食事をし、もうありとあらゆる策を講じ体重を増やそうと努力したのですが、それでも体重は増えない。

いつしか食事という行為は、彼にとってはただの義務であり、最も嫌いな時間になってしまっていたのです。

「あぁ、また3時間経った、、、食べなきゃ」

「食べたくないな、でも食べないと痩せてしまう」

「ほんとは肉なんて食べたくないけど、食べないとたんぱく質摂れないし、、、」

無理やり食べることへの義務感、体重が減ってしまうことへの不安。しかし、それでも体重は思うように増えず、とうとうカラダもココロも壊してしまったのです。

今考えると、無理やり食事の量を増やさなくても、体重を増やす方法はあったのですが、当時の彼にはそれがわからず、結局、食べることへの喜びを無くしてしまう結果になったのです。

これらはすべて「情報不足」が原因で起きてしまったことなのです。

当時の彼に「大丈夫。君に合う方法はいくらでもあるよ。だから、無理に何かをしたり、我慢しなくていいんだよ」と伝えてあげられればどれだけ救われたことか。

情報が不足していたり、正しい方法がわからないと、

どれだけ努力しても結果がでない。そしてココロを病み、人生すらも楽しめない。

この原体験が後の行動に大きな影響を与えることになったのです。

ようやく見つけた恩返し

フリーのスタジオインストラクターになったのはいいのですが、相変わらず極貧生活。

スタジオインストラクターは各フィットネスクラブからお仕事を頂いて生計を成り立たせています。近場のクラブを転々として効率よく仕事が出来ればいいのですが、新人インストラクターにそのような仕事はなく、練馬から茅ケ崎まで電車を2時間乗り継いてレッスンをするなんてのはザラにありました。

お金が無さ過ぎて次の仕事場へ行く為の交通費が払えない、なんてことも・・・(笑)

年月が過ぎ、少しずつ仕事も増えてきて収入も安定するようになってきました。

収入が安定してくると、自分のことだけではなく、ちょっとずつ周りの人も見えるようになってくるんですね。スタジオでレッスンしていても、動きにくそうにレッスンしている方がいたり、怪我をしてレッスンそのものに参加できない方がいる事にもどかしさを感じるようになってきたのです。

 

「スタジオレッスン楽しいけど、怪我してたら楽しめないじゃん」

トレーナー、カイロプラクターなどカラダの知識をある程度持っていたからこそ、この状況を変えたいと思うようになってきました。

 

「楽しいレッスンは誰にでも提供できるけど、怪我しないためのケアは自分じゃないと伝えられない!」

そんな事で、楽しむの前にカラダをケアすることの重要性を伝えるために、彼はパーソナルトレーナーとしても活動を開始するようになりました。

 

怪我をしない為の効率の良いカラダの使い方や鍛え方、ケアの仕方を指導しているうちに、クライアントからこんな事を言われるようになりました。

「先生に指導をしてもらってから、O脚がよくなってきましたぁ」

たくさんのクライアントと接していると、

「スカートが穿けるようになりたい」

「パンツを穿いた時の後ろ姿に自信をつけたい」など下半身部分へのコンプレックスを訴えてくる方が多い事に気がついたのです。

彼女たちの話しを聴いていると、たくさんの努力をしている事に気がつきました。

食事制限にジムでのトレーニング、エステに通ったり整体に通ったりと、下半身コンプレックス解消のためなら何でも試していました。

 

それでも解消できない。。。

 

彼は気がつきました。

「この状況は前に経験したことがある!」自分自身がボディビルを一生懸命やるなかで体重が増えずに悩んでいた事と重なりました。体重を増やすために様々な努力を重ね、それでも体重が増えない。結果「食への喜びを失う」という辛い経験を味わうことになりました。

その時の彼に不足していたのは「正しい情報」でした。

「自分も辛い経験をした!そんな人をもう増やしてはいけない!」

彼女たちがたくさんの努力を重ねるなかで、唯一抜け落ちている考え方が「下半身瘦せの正しい情報」だったのです。下半身瘦せの情報とは「カラダの正しい使い方」です。

カラダの使い方が間違ていると、どんなに努力をしても脚が太くなる方向にしか働かないのです。反対にカラダの使い方さえ覚えてしまえば、全ての努力は目に見える成果として出てくるのです。

「これだっ!」

カラダ中に電流が走りました。今までたくさんの恩恵を与えてくれたフィットネスという仕事。この「下半身が痩せるカラダの使い方」を知ってもらいコンプレックス解消のために努力を重ねてきた方々の「困り顔」を「笑顔」に変えることができれば、ようやくフィットネスに恩返しができる!彼はお店を開業する決意をしました。

 

すべては下半身コンプレックスで悩む「困り」を「笑顔」に変えるために。

そして現在・・・

2015年9月 港区芝公園に現在の下半身痩せ専門パーソナルジム Style A 芝公園をOPENしました。(ちなみに、お店の名前にの由来は「えぇ~スタイルやなぁ~」と言われるように「スタイルエー」にしましたwww)

下半身コンプレックスに悩む人の「困り顔」を「笑顔」に変えるという想いを引っさげて日々たくさんの方々と接しています。開業して約4年。その間およそ700名以上の方々のお悩みをヒヤリングし具体的な改善策をご提案してきました。(2019/5月現在)

しかし、まだまだコンプレックスを抱えたまま悩んでいる方はいらっしゃいます。そんな皆さんに正しい情報を届けたい!情報不足が原因で自分と同じ苦しい想いをしてほしくない!

今まで私の人生に大きな影響を与えてくれたフィットネスに恩返しするため朝7時から夜10時まで、真摯に「カラダ」という事象と向き合い日々研鑽を重ねています。

高校時代に41.5℃の熱でぶっ倒れ、病院の天井をみつめながら「このまま死んじゃうのかな」と本気で人生を考えたあの頃、「死んだら終わりだ!思い通りの人生を生きよう!」と誓ったあの頃から15年。これまでフィットネスと決別したり、また復帰してみたりしながらようやく辿り着いた「天職」。

これからもたくさんの方の笑顔に出逢えるよう、そして多くの方の「困り顔」を「笑顔」に変えることができるよう日々精進です。

長い長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。

 

下半身痩せ専門パーソナルジム Style A 芝公園

代表 飯沢 芳明

この記事を書いた人

Style A 芝公園
代表 飯沢 芳明

下半身痩せのスペシャリスト!

経歴:19歳からフィットネス業界で活動し、フィットネスクラブで働く傍ら、日本カイロプラクティックドクター専門学院にてカイロプラクティックの基礎や解剖学・神経学を学ぶ。その後、フィットネスクラブの運営などに携わり、2010年からフィットネスインストラクターとして独立。グループレッスン・パーソナルセッション含め年間1,500回以上を担当するなかで、女性クライアントから最も要望が多く、最も難しいとされる「下半身痩せ」のメソッドを考案。2015年より下半身痩せ専門パーソナルジムを開業し下半身痩せの専門家として活動。現在、新規顧客・リピーター含め、年間200名以上のレッスンを担当。トレーニング指導の他、執筆(コラム・書籍など)YouTube動画、ラジオなどを中心に「下半身痩せ」に関する情報を発信している。

飯沢の歴史はこちらから(ちょっと長いです)

著書のご紹介

All About 下半身ダイエット ガイド

総合美容サイト 美LAB. 公式アンバサダー

11月10日 下半身痩せの日 として制定(日本記念日協会認定)

資格:NLPプラクティショナー,心理カウンセラー,CFSC認定コーチなど

趣味:温泉・神社仏閣巡り、読書など