なぜ、下半身痩せ専門なのか?
【飯沢芳明の自己紹介】

こんにちは。下半身痩せ専門パーソナルトレーナーの飯沢芳明(いいざわ よしあき)です。

このページでは、現在の「下半身痩せ指導」に至るまでの経緯・なぜ、下半身痩せを専門に指導しているのか?などの「想い」を中心にご紹介します。

この記事を読むことで、飯沢のことを知っていただきたいと思っています。特に、これからどうやって人生を生きていけばいいのかわからない方には、私の生き方はとても参考になる内容だと思います。

なぜ、下半身痩せ専門ジムを開業したのか?

下半身痩せにかける想い|中央区銀座・新橋のトレーニングジム

2015年9月・東京都港区芝公園に「下半身痩せ専門パーソナルジム Style A 芝公園」を開業しました。

そこから、私の下半身痩せ専門パーソナルトレーナーとしての活動が始まりました。

開業当時は、パーソナルトレーニングが社会的なブームになっていて「2ヶ月で〇〇kgの減量に成功!」などのキャッチーコピーで街は溢れていました。

 

一方で、「体重が減ったけど下半身は痩せなかった…」「何をしても下半身が痩せない…」など、下半身痩せ出来ずに悩んでいる方が多くいることにも気がつきました。

 

体重を減らしたり、筋肉をムキムキにしたりするわけでもない、下半身痩せがしたい!そんな皆さんをサポートしたいという想いで、私は下半身痩せ専門パーソナルトレーナーの活動をしています。

現在に至るまでの経緯…

お店を開業するまでの経緯|中央区銀座・新橋のトレーニングジム

飯沢芳明は、山形の人口7,000人の小さな町で生まれ、多感な幼少期を育ちました。

小さい頃から「単独プレーを好むタイプ」。友達と遊ぶより1人で遊んでいることが多い、集団行動が苦手な少年でした。

そんな少年が中学生になり、陸上競技と出会いました。専門は長距離走。

単独プレーに走る彼は、部活の練習をサボってまで1人でトレーニングすることを好みました。幼少の頃からの性格は、何も変わっていなかったのです。

 

そんな彼にも、唯一長所と呼べるものがありました。

それは…、のめり込んだらトコトンやるまで気が済まない!

 

当時は陸上にのめり込んでいましたので、スポーツの専門書を読んだり、ネットで情報を検索してみたり。とにかく朝から晩まで陸上のことを考えていたのです。

のめり込むのとは裏腹に、ランナーとしては目が出ない日々。練習量は人一倍しているにも関わらず、大会ではいつもビリ…。

「こんなに努力しているのになぜだ…」彼は悩んでしました。

 

それもそのはず、彼は「間違った知識」によって、慢性的な疲労と栄養不足が原因の「貧血」を起こしていたのです。現役当時は、体重が軽ければタイムが伸びる!というのが常識でしたから、私は体重を減らすため必死にカロリー制限をしていたのです。

そんなこととは露知らず、タイムを伸ばすため、さらに過度な食事制限に走っていきました。食品のカロリー表示はほとんど暗記し、頭のなかは常にカロリー計算。「今日はあと〇kcal食べられるな!」そんなことばかり考え生活する毎日でした。

そんな努力も虚しく、結果は「万年ビリ」のまま…。

 

そんなことを繰り返していたら、食べることが怖くなり、結果…拒食症になりました。

「食べればタイムがまた落ちる…」「胃に食べ物が入ってくることが恐怖でした…」

そんな苦しい日々。

 

そんな苦しい生活も、高校2年の秋に終わりを告げました。「燃え尽き症候群」でした。

それまで熱中していた長距離でしたが、全く走れなくなってしまったのです。

当時を振り返ると、「走っていた」というより、「走らなければ」という義務感で走っていたようにも思います。

 

私「中学1年からはじめた陸上人生。5年間がんばってきた結果がコレか…

彼は暗闇に落ちました。そんな時、気晴らしに練習してみたハンマー投げが、彼の人生を大きく変える「転機」となりました。

 

友達が横で練習していたハンマー投げを、見よう見まねで投げてみると…、

私「あれ?飛んじゃった…

 

身長172cm 56kgのガリガリが、なんと!砲丸投げを専攻していた友人よりも、遠くに飛ばしてしまったのです!6kgちょっとの重りがあるハンマーが、自分の手元を離れ遠くに飛んでいく様は、とても快感でした。

 

私「どうしたらもっと遠くに投げられるかなぁ~」「もっと投げたい!

元来のめり込みが激しい彼は、気がつくとハンマー投げの虜になっていました。

 

高校時代は、誰よりも早く登校し「ハンマー投げ 」の練習をしました。夕方は陸上部全体の練習が終わってから、夜8時までハンマー投げの練習をしました。誰よりも早くグラウンドに行き、誰よりも遅くまでグラウンドに残りました。果ては夢のなかでも練習をしていました(笑)

 

私「このままハンマー投げだけでやる生活がしたいなぁ~

そんなことを考えていた高校3年生の夏。

 

そろそろ今後の進路を問われる時期に来ていました。

(音声配信もやってます → お店が出来るまでのストーリー[前編][後編]

流されるままに入社した最初の会社

流されるままに入社した最初の会社

就職することを前提に入学した高校。はなから進学は考えていませんでした。しかし、ハンマー投げをしたいという願望を捨てきれず、進路指導の先生に相談をしてみたのでした。

 

私「先生、陸上だけやれる学校とかないですかね

先生「お前、就職希望だろ。時期的に進学は無理だ、そのまま大人しく就職しろ

 

すでに1社の内定を頂いていたこともあり、「就職するしかないかな…」と、流されるままに就職を選択してしまったのでした。スポーツで生きていこうと思ったら、スポーツ専門学校に進む道もありました。しかし、当時の彼はスポーツ専門学校がある事すら知らない「情報弱者」。彼に就職以外の選択はありませんでした。

 

最初に入社した会社は、地元で一二を争う「ゼネコン」

現場監督見習いとして入社し、真面目に仕事に専念するのかと思ったら、ハンマー投げの楽しさが忘れられず、会社が終わりに練習をしたり、休みの日に母校で練習させてもらったりと、学生時代の延長を楽しんでいました。

 

しかし、だんだん仕事が忙しくなると、練習どころではなくなってきたのです。

私「ハンマー投げがしたい、だけど仕事が終わらない…

 

現場は工期によって労働時間もまちまち。朝の5時集合や、現場の泊まり仕事は当たり前。次第にハンマー投げの練習計画も崩れていきました。

このまま好きな事ができない人生でいいのか?自問自答する毎日…。

 

その時、耳元で誰かが囁いたのです。

お前、このままでいいのか?

やりたい事ができない人生で本当にいいのか?

 

思い立ったが吉日!もうその声をかき消すことはできません。

 

つぎの日、

上司「あれ?あいつ出社してる?

同僚「最近、反抗的な目したんで、サボったんじゃないっすか

 

彼は会社を無断欠勤し、ハンマー投げの練習をしに、遠く福島まで逃亡したのです(笑)※車で約2時間。

 

携帯の電源も切って、思う存分ハンマー投げを練習してみた。

私「楽しい!やっぱり楽しい!一度きりの人生、好きな事して生きてみよう!!

 

好きな事だけをする人生にしよう!

そう決意し、会社に辞表を提出。彼の会社員生活はわずか3カ月で幕を閉じたのでした。

宙ぶらりん … そして …

中央区銀座・新橋のトレーニングジム

会社を辞めたまではよかったのですが、もちろん周囲は大反対…。

 

父「3カ月で仕事の何がわかるんだ!一人じゃ何もできない半人前のクセして!

私「そんなにいうなら俺は一人で生きていく!それなら文句ないでしょ!

彼は実家を出ました。

そして、福島に移り人生初の1人暮らしを開始。同時にハンマー投げを思う存分できる新生活がスタートしたのでした。

 

福島では、飲食店のアルバイトをしながら、あとはひたすらハンマー投げに明け暮れる生活を送りました。朝から夕方までバイトをして、そのままハンマー投げの練習へ突入。

近くの高校の生徒に混じって練習して、それから帰宅。そしてまた朝を迎えるという生活。

 

一度きりの人生、自分のやりたい事をとことんやってみよう!そんな意気込みでハンマー投げをバカになるまでやってみたのです。

 

私「最高だ!やっぱりあの時の決断は間違っていなかった!!

 

最高の人生を送れると思ったのも束の間…。

「理想の生活」というのは、いざ手に入れてみると意外とあっさりしたもので…。

夢にまでみたハンマー投げ生活だったのに、数か月過ぎたころから熱が冷めてきて…。それがどんどん冷めてきて、とうとう練習すらまともに出来なくなっていました。

 

あんなに迷惑をかけて、あんなにわがままで実現させたこの生活。

私「でも、もう熱がない…

 

完全に目標を見失っていました。

私「俺…、一体なにやってんだろう…

 

自己嫌悪に陥り、罪滅ぼしのようにハンマー投げの練習をする毎日。熱を失った鉄を叩くほど、苦痛で虚しいことはありません。

 

私「ハンマー好きだけど、もう熱がない…、一体どうしたら…

失意のどん底にいた彼に、またしても転機が訪れました!

 

当時住んでいた家から、自転車で40分程離れた場所に「県立図書館」がありました。そこでハンマー投げの練習に活かそうと、身体の勉強をしていたのです。

その帰り道、ふと目にした求人募集の張り紙に「ジムトレーナー募集」の文字がありました。

 

私「そうか!競技者としてじゃなく、選手を支えるトレーナーであれば、スポーツに関わっていける!彼は新たな目標を見つけました。

 

思い立ったが吉日!その日からトレーナーに関する情報を集めることにしました。

実際にトレーナーをしている知り合いがいると聞けば、車で2時間かけて話しを聞きに行きました。トレーナー募集の張り紙があると聞けば、すぐに電話をしました。今考えれば、ただの痛い男でしたが…(もちろん面接は不採用)

 

様々な求人を探しているなかで、宮城県仙台市の「フィットネスクラブ」の面接が決まり、スーツ姿でバイトの面接に出かけることになりました。福島から仙台の面接会場まで、車で2時間…忘れない雪の降りしきる1月下旬でした。

 

面接官2人を前に、トレーナーになりたい「熱意」を語り、その場で採用をいただくことができました!(ただのアルバイトですが…)

今までの面接では熱がこもり過ぎ失敗していたので、その教訓を活かしてみたのです。

当時を振り返ると、福島から2時間かけて面接に来た少年を、よく採用してくれたものだと、採用担当のお2人には感謝するばかりです。

 

そんなわけで、彼のトレーナー人生がスタートすることになりました。

県立図書館の帰り道に「トレーナー募集」の張り紙を見てから、わずか3カ月の出来事でした。

試行錯誤からの有頂天!

下半身痩せ専門パーソナルトレーナー飯沢芳明

仙台に移住し、念願のトレーナー人生をスタート!

トレーナーとしての生活は、新しい発見の連続で、本当に刺激的な毎日。彼は水を得た魚のように、生き生きと貪るようにトレーナーの勉強をしました。

ジムでお客様から頂いた質問はその日のうちに調べて返答し、休憩時間は専門書を食い入るように読み、まさに「トレーナー漬け」の生活。

 

しかし、ここでも彼の「のめり込む性格」が災いし、あれやこれやと調べていくうちに…、「骨格から治さないと、根本的な解決にはならない…」という結論に。

仙台に来て、トレーナーを始めて1年が過ぎた頃、彼は骨から身体を改善することに意識を奪われていたのです。そして、それを可能にする「カイロプラクティック」興味を持ち始めていたのでした。

 

カイロプラクターになりたい!」そう思ったらもう誰も止めることが出来ません。

思い立ったが吉日男は、カイロプラクティックの事しか考えられなくなり、その日を境に「どうしたらカイロプラクターになれるか?」そのことばかり考えて情報収集に明け暮れていきました。

専門学校の資料を取り寄せたり、学費のローンを検討してみたりと…。

カイロプラクターになりたいと思ったのはいいのですが、時すでに2月中旬。もし専門学校に入学しようと思ったら、すでに答えを出していなければいけないタイミング。彼は時間がなく焦っていました。

しかし、そこはいつもの強行突破で、何とか念願のカイロプラクティック専門学校に入学することができました。

 

夢にまでみた学生生活…入学してみると、まさに「バラ色の生活」。

これまでしてきた独学とは違い、プロの講師が体系的に知識を教えてくれる。学習スピードが今までの100倍になった感じ…、まさに水を得た魚のようにドバドバと知識を吸い込みました。人間の持つ情熱とは凄まじいものがあるなと実感したわけです。

授業は一番前で食い入るように聴き、分からない箇所があれば先生を捕まえ質問攻め!技能練習も周りの生徒の協力を得て、身体が壊れるほど練習しました。

テストでは常に成績トップ!その知識はジムのお客様に指導することで、お客様からの信頼も得られるようになっていったのです。

 

当時からチャレンジ精神が旺盛でしたので、トレーナーとしてやるからには、何か新しい事にも挑戦したいと思い、トレーナー活動の他に「スタジオインストラクター」や「ボディビル」にも挑戦しました。

ですが、すべて楽しいことばかりではなく、なかには苦しい体験もあったわけです。なかでもスタジオインストラクターの活動は、想像とは違い彼を苦しめる事になりました。

 

スタジオインストラクターになるには、ある程度の経験や度胸?が必要なのですが、何も知らない20歳の若造が、いきなり40名の大人の前に立たされスタジオレッスンをやるわけですから、完全にビビッてしまい、レッスンでは失敗の連続。

当時は毎週月曜の夜に担当していたレッスンが嫌で嫌で…。それを考えるだけで頭に10円ハゲができてしまう程思い詰めていました(笑)

ジムトレーナーが順調だっただけに、このスタジオインストラクターという仕事から早く逃げ出したい。そんな事ばかり考えていたわけです。

 

しかし、人生どこでどうなるか分からないもので…、このインストラクターという仕事が、今後の彼の人生を大きく変えることになるのでした。

 

インストラクターの仕事にも多少慣れてきた時、当時のマネージャーから声がかかりました。

マネ「飯沢くん、新しいプログラムを導入するから、東京で研修受けてきてよ

 

バーベルを使った筋トレ系のプログラムを導入するというので、3日間東京に研修に行くことになったのです。あまり気ののらないインストラクターの仕事ですから、決して楽しい気分ではありません。

しかし、小さい頃から東京に憧れを抱いていた彼にとってみれば、憧れの地に行けるまたとないチャンス!3日間東京を楽しんでこようと考えていたわけです。

 

当時の彼は、東京という場所は、海千山千の亡者が鎬を削っている所と考えていたので、東京研修に行ったら生きて帰って来られないのではないか…。そんなことを考えていたわけです(笑)とにもかくにも、不安と期待が入り混じった東京研修がスタートしたのでした。

 

研修がスタートし、東京で活動する人達と直にお話していると、田舎には無い視点や熱意があり、圧倒されるばかりで、

私「やっぱ東京の人はすんげぇ~なぁ~オラも東京さ住みでぇ~なぁ~

そんな憧れを持つようになったのです。

 

憧れの地であった東京。実際に行ってみるとやっぱり凄いところだった。またしても彼の好奇心がくすぐられてしまったのです。

 

3日間の東京研修は、結果的に良い影響を及ぼし、彼はスタジオインストラクターとして自信を獲得することができました。今まで無残なレッスンしか出来なかったのが嘘のように、上手なレッスンができるようになり、そして心からレッスンを楽しめるようになったのです。

彼のレッスンにはじめから参加していた方からも「何があったの?」とツッコミが入るほど、別人になっていたのです。

 

これは持論ですが、素晴らしいレッスンとは、インストラクター本人が一番楽しんでいるレッスンだと思います。インストラクターが楽しんでいると、参加者も自然と楽しそうな表情に引っ張られてしまうのです。

 

スタジオレッスンに楽しさを覚えた彼のもとには、以前とは打って変わって、どんどん人が参加するようになり、あっという間にスタジオが人で溢れかえりました。

私「人を笑顔にできる仕事って最高だ!これぞ俺の天職だ!!

 

ジムトレーナーとしても順調!カイロプラクターとしても成績優秀!スタジオレッスンも大人気!彼は完全に調子に乗っていました。

私「俺には何でもできる!

 

完全に勘違いをしてしまい。挙句の果てには…

私「この才能を他の業界でも活かそう!

私「トレーナーはもう終わり!俺は東京で大金持ちになるんだ!!

 

仕事は順風満帆でしたが、ジムのアルバイトだけで生計を立てていましたから、生活は苦しかったのです。朝から夕方までバイトをして、夜は専門学校に通う毎日。他に収入源を増やすこともできず、まさに困窮した生活でした。(当時の手取り月12万円)

 

有頂天になっていた彼は、困窮した生活を脱却しようと、もっと稼げる業界に転職しようと計画したわけです。そして、選んだ業界は「営業職」。

理由は単純「稼げそうだから…」

 

もちろん営業活動なんてしたことがありません。

しかし、ピノキオになっている彼を止めることはできません。周囲の反対を押し切り営業会社に転職を決めてしまったのです。転職先の会社は「東京」に本社があり、引っ越し費用も負担してくれるという事だったので、転職と東京生活の両方が同時に手に入ってしまいました。

 

まさに彼は「浮足立って」いたわけです。

どん底 … そして復帰。

下半身痩せしたいなら銀座へ!

憧れの東京生活がスタート!

見るもの聞くものがすべてが新鮮。その刺激は、営業マンとして大成功してやるという彼の意気込みを、より一層高めてくれました。

バラ色の人生が始まるんだと意気揚々乗り込んだのはいいですが、彼が入社した会社は「飛び込み営業」を中心としたスタイル。電話でのアポ取りから訪問まで、全てを1人で行うやり方でした。

 

そんなこんなで、仕事がスタートしたわけですが、営業未経験で気弱な彼でしたから、そう簡単にアポが取れるわけもなく…。数字が取れない日々に、少しずつ元気を無くしていきました。

私「まぁ、たまたまだよな…

私「大丈夫!俺様は何でもできるんだ!そのうち凄いことになるぞ!!

 

自分自身を鼓舞していたわけです。しかし、その後も1件のアポも取ることができず…

私「いや…、たまたまだよ、たまたま…

 

入社から2ヵ月が経過した頃、事務所に残って電話がけをしているのは私だけ…

私「俺…そろそろやばいかもな…

 

数字が取れない日々。上司から重圧・電話口から聞こえる罵声、仲間の冷たい視線…。

有頂天になっていた分、そこからの転落には落差があり、気が付くと私は「鬱(うつ)」になっていました。

 

私「あんな大口叩いて東京来たけど、俺…全然ダメだな…

夜中なんども悪夢で目が覚め、どうしようもない不安が襲い、吐き気が止まらない。

日曜のサザエさんで呼吸が乱れ、涙が止まらなくなっていた。

 

そんな鬱々としている時に、知人からフィットネスクラブの「無料チケット」をもらい、久しぶりスタジオレッスンに参加してみたのです。

 

レッスンを提供する側だった私が、今度は参加者としてレッスンを受けてみる…。

 

フィットネスには見切りをつける!と豪語して辞めた手前、こうしてレッスンを受けている自分がどこか情けない…。でも、レッスンがスタートしたら、そんな感情はすべて吹き飛んでいました。音楽がかかると自然と身体が反応している自分に気がついたのです。

身体を動かしている間は、鬱々とした気分が全て吹き飛んで、心から楽しいと素直に思えたのです。

 

私「身体を動かすことがこんなに楽しいなんて…

ふと周りに目を向けてみると、私と同じように参加者みんなが笑顔になっていることに気が付きました。レッスンに参加する側に立ってはじめて気が付くことがあったのです。

 

私「そうか…、俺のレッスンに参加してくれていた人達は、こんな気持ちでレッスンに参加していたんだ…

仕事の人間関係や家庭など、生きていれば嫌なことも出てきます。そんな気持ちから解放してくれるのがスタジオレッスン。こんな楽しい気持ちになれて、一瞬でも嫌な事から解放される…。それを提供していたのが自分だったのに…、それを投げ出した自分が情けない…。

 

私「なんて身勝手な男なんだ…

私「自分のことばかり考えて、人を笑顔にできるこんな素晴らしい仕事から逃げてしまった…自然と涙が溢れてきました。

 

みんなの期待を裏切り、私利私欲のためだけに業界を去ったことに後悔しました。仙台でお世話になった人達の笑顔が走馬灯のように蘇り、私は泣きました。

泣いて泣いて、どん底まで落ちていった時に…… ぬくっと起き上がりました!

 

私「よし!復帰しよう…、またフィットネス業界に復帰する!

思い立ったが吉日男は、翌日会社に辞表を提出しました。

 

上司からは物凄い剣幕でまくし立てられ、ぼろかすに罵られました。当然ですよね…。

しかし、私の決意は固かった。断腸の想いで辞表を提出しましたから、どんなに叱責されても微動だにしません。まるで切腹を決めた武士のように、ただそこに佇んでいました。

そんな私にとうとう上司も折れて辞表を受理してくれました。

 

会社を後にしようと思ったら、当時の部長から呼び出されこんな話をされました。それは私の人生観を変えられた大切な言葉として今も胸の奥に刺さっています。

 

上司「飯沢、俺はこの厳しい業界で働いている分、人の汚い部分もたくさん見てきた。退職する奴はたいてい親が病気になったの、実家に帰るだのと見え透いた嘘をついていく。飯沢、どんな事があっても汚いウソだけはつくな!正直にすべてを話すんだ

 

新たな決意を持って、私は再びフィットネス業界に復帰することになったのでした。

極貧…そして独立。

中央区銀座でトレーニングジム

フィットネス業界に再び戻り、今度はアルバイトとしてではなく、社員としてどっぷり業界と関わることにしました。

目的はただひとつ!「スタジオレッスンでお客様に笑顔の恩返しをすること!」日常のあれこれを忘れて、心の奥底から「楽しい!」という感情をお届けしたかったのです。

ただ…、カッコイイのはここまで。

給料は相変わらずの低賃金。プライベートは極貧状態が続いていました(笑)当時21歳で、練馬のボロアパートにゴキ○リと一緒に生活していたのを思い出します。

食費は1日500円。税金の督促状に血の気が引いて、家賃も滞納してました。まさにギリギリ生活。結局、仙台にいる時と変わらない貧困状態に戻ったのでした。

 

それでも良かったのです。

スタジオレッスンが出来て、大好きなフィットネスの仕事に関われて。そして、たくさんの笑顔に囲まれて…。お金は苦しいものがありましたが、それで良かったのです。

 

私が当時勤務していたフィットネスクラブは、関東に5店舗ありました。私はレッスンがしたい旨を上司に理解してもらい、店舗張り付きの社員にも関わらず、3店舗でレギュラーレッスンを担当させてもらっていました。なので、レッスンがある度に他の店舗にお出かけし、自店との両立をはかっていました。(おかげで睡眠時間は3時間…)

 

順調にみえた社員生活。しかし今度は会社の業績が悪化し、決断を迫られることになったのです。このまま残って社員を続けるか?転職か?それともフィットネスインストラクターとして独立するか?

私が迷っていると、当時の上司がこんな言葉をかけてくれました。

上司「飯沢、俺はお前ほど楽しそうにスタジオレッスンをしている奴を見たことがない。お前はこの業界にいないとダメだ。転職はせずにここに残れ

 

私は迷わずフィットネスインストラクターとしての独立を選びました。

この時の上司の言葉が無ければ、今の私はありませんでした。とても貴重な言葉をいただいたと思っています。

情報不足が原因で食の喜びがゼロに…

下半身痩せしたい!

物を知らないというのは、とても罪なことです。

私は20歳の頃、ボディビルに挑戦していました。はじめたきっかけは、いつもの「のめり込む性格」が災いしたのでした。

「どうせトレーナーとして筋トレの指導をするなら、自分でも筋トレをしてみよう!」「どうせやるならボディビルまでやってみよう!」

というわけで、私はボディビルの世界にも足を踏み入れることになったのです。

…が、ここでも挫折体験が待っていたのです。

 

ボディビルダーの身体づくりには順番があります。オフの時期には体重と筋肉量を増やし、試合が決まったら、それに向けて一気に減量していくのです。すると、あのムキムキボディが仕上がるのです。

私もセオリーに従って増量を試みたのです。しかし、私はもともと体重が増えにくい体質だったので、一生懸命食べても体重が増えなかったのです。

毎回の食事はササミとブロッコリー。3時間おきにプロテインを飲む。ありとあらゆる策を講じ体重を増やそうと努力しました。しかし、それでも体重は増えなかったのです。

 

「食べたくもないのに食べなきゃいけない…」そんな食生活を続けていると、食事を摂る行為そのものが苦痛になってきます。

 

私「3時間経った…またプロテインを飲まなくちゃ…

私「食べたくない…、でも食べないと痩せてしまう…

 

無理やり食べることへの義務感、体重が減ってしまうことへの恐怖。身体よりも先に「心」が疲れていました。その結果「食の喜びがゼロ」になりました。

 

何を食べても義務感。食べて「美味しい」なんて感情はゼロになったのです。

 

当時を振り返ると、明らかに間違った方法で体重を増やそうとしていました。無理やり食べ物を詰め込む以外にも、体重を増やす方法はあったのですが、当時はそれを教えてくれる人がおらず…。結果、食べることへの喜びを無くしてしまったのです。

 

これらはすべて「情報不足」が原因で起きてしまったことです。

当時の彼にちゃんとしたやり方を指導してくれる人がいたとしたら、どれだけ救われたことか…。少なくとも、あんなに苦しい想いをすることはなかったでしょう。

 

情報が不足していたり「正しいやり方」が出来ていなかったりすると、どんなに努力しても結果は出ません。そして、できない自分に嫌気がさし「心を病みます」。

 

私は「正しいやり方」を指導することの大切さを身をもって体験しています。それが今の下半身痩せ指導にも繋がっています。間違ったやり方をして「貧血」になったり、「拒食症」も経験したからこそ理解できたこと。「正しいやり方」を知ることの大事さを、私はこれからも発信していこう!そう思った出来事でした。

ようやく見つけた恩返し

中央区銀座でトレーニングジムをお探しなら

2010年 上司の後押しもあり、私はフィットネスインストラクターとして独立しました。

独立とは、言葉だけを聞くとカッコ良いですが、現実は甘くはありません。駆け出しのフリーランスに収入は無く、またしても極貧生活。

フィットネスインストラクターの仕事は、各フィットネスクラブからお仕事を戴いて生計を立てます。

近場のフィットネスクラブからお仕事を戴ければ効率よく仕事ができるのですが、新人インストラクターにそのような仕事はなく…。当時住んでいた練馬から茅ケ崎まで、電車を2時間乗り継いで仕事をするなんてこともありました。

お金が無くて無くて…次の仕事場に行くための交通費が出せない!そんな状況すらあったのです。

 

そんな貧乏生活でしたが、2年もすると少しずつ仕事も増えて、収入も安定するようになってきました。収入が安定してくると、次の展望を見れるようになってくるのです。

 

ある日のこと、参加者の1人がこんな話をしてくれました。

客「先生、わたし怪我しちゃってしばらく休まなくちゃいけなくなったの…

 

怪我をしてレッスンに出られない…。そんな事実がある事を知ってから、スタジオレッスンに参加している人をみると、動きにくそうにレッスンしていたり、怪我をしながらもレッスンに参加している人がいる事に気が付きました。

私はそんな状況にもどかしさを感じるようになっていました。

 

私「怪我をしていたらレッスンを楽しめないじゃないか!

インストラクターは「fun(楽しさ)」を提供するお仕事ですが、私は元来トレーナーという身体を根本から変える仕事をしていたこともあり、「この状況を変えたい!」と思い始めたのです。

 

私「楽しいレッスンは誰にでも提供できる。でも、怪我しないための身体づくりは自分にしか伝えられない!

私は身体をケアすることの重要性を伝えるため、パーソナルトレーナーとしても活動を開始することになったのです。

 

怪我をしない為の身体づくりを指導しているうちに、お客様からこんな事を言われるようになりました。

 

客「先生に指導をしてもらってから、O脚が治ってきたのよ

客「先生にみてもらってから、ヒップアップしてきたみたい

 

私は普段から女性を担当する機会が多かったのですが、たくさんの方の悩みを聞いていると、「スカートが穿けるようになりたい」「パンツを穿いた時の後ろ姿に自信をつけたい」など、下半身痩せの要望が多いことに気が付いたのです。

 

そんな皆さんの話を聞いていると、たくさん努力をしている事にも気がつきます。

ジムでのトレーニングはもちろんのこと、食事制限・エステ・整体にと、ありとあらゆる努力をしています。それでも解消できない…。

 

私は気が付きました。「この状況は前に経験したことがある…」

私がボディビルを一生懸命やるなかで体重が増えずに悩んだこと、陸上をやるなかでたくさん努力をしていたのに、それでも結果がでなかったこと。その時の辛い経験と似ていました。

 

私「自分も辛い経験をした!そんな人をもう増やしてはいけない!

次の瞬間「これだっ!」身体中に電気が走りました…。私なら下半身太りに悩む人の役に立てる!

 

これまで自分が経験してきたこと。

努力しても結果が出ないもどかしさ。

それら全てに共感しながら、下半身痩せを指導できる!

 

今までたくさんの恩恵を与えてくれたフィットネス。

「下半身痩せ」のやり方を広めることで、下半身痩せ出来ずに悩む人の「困り顔」を「笑顔」に変えることができれば、ようやくフィットネスに恩返しができる!

 

私は下半身痩せの専門店を開業する決意をしました。

下半身コンプレックスで悩む人の「困り顔」を「笑顔」に変えるために

そして現在…

2015年9月 港区芝公園に下半身痩せ専門パーソナルジム Style A 芝公園を開業しました。

(ちなみに、お店の名前にの由来は「えぇ~スタイルやなぁ~」と言われることを目指してもらえるよう「スタイルエー」にした単なるダジャレですw)

下半身コンプレックスに悩む人の「困り顔」を「笑顔」に変えるという想いを引っさげて、日々たくさんの方々を指導しています。

 

開業して約4年で、およそ750人以上の方々のお悩みを解消できました。しかし、1人で出来ることには限界があったのです。1人の声だけでは届かない人もいるのだと知りました。

 

昔のことわざでこんな言葉があります。

「速く行きたければ一人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け」

 

私は今まで速く行くことに拘っていました。開業して4年間、様々な思考錯誤を繰り返し情報発信をしてきました。しかし、私ひとりでは声が小さすぎて、まだまだ悩みを解消できない方が多くいらっしゃいます。

私は決意しました!より多くの方に「笑顔」になってもらう為、今後はチームで活動して、さらに大きな声が出せるようになろうと…!

 

2020年から舞台を銀座に移し、私は引き続き「下半身痩せ指導」を行っていきます。私にとっては新たなステージです。

コンプレックスを抱えたまま悩んでいる方はまだまだたくさんいます。そんな皆さんに正しい情報を届けたい!情報不足が原因で自分と同じ想いをして欲しくない!

 

今まで私の人生に大きな影響を与えてくれたフィットネスに恩返しするため朝から晩まで、真摯に「下半身痩せ」という事象に向き合っています

 

高校時代に41.5℃の熱でぶっ倒れ、病院の天井をみつめながら「このまま死んじゃうのかな」と本気で人生を考えたあの頃。「死んだら終わりだ!死ぬことを考えるくらいなら、思いっきり生きる方ことを考えた方がいい!」そう誓ったあの頃。

 

紆余曲折しながらようやく辿り着いたこの「天職」これからもたくさんの笑顔に出逢えるように。そして多くの方の「困り顔」を「笑顔」に変えることができるよう日々精進です。

 

長い長い文章にお付き合い頂き、ありがとうございました。

 

下半身痩せ専門パーソナルトレーナー

飯沢 芳明

この記事を書いた人

下半身痩せ専門パーソナルトレーナー飯沢芳明

下半身痩せ専門パーソナルトレーナー飯沢芳明

下半身痩せのスペシャリスト!

経歴:19歳からフィットネス業界で活動。フィットネスクラブで働く傍ら、日本カイロプラクティックドクター専門学院にてカイロプラクティックの専門知識を学ぶ。その他、フィットネスクラブの運営にも携わる。2010年からは、フィットネスインストラクターとして独立。個人指導(グループ指導)含め年間1,500回以上の指導経験を積む。多くの女性顧客を担当するなかで、最も要望が多く、また難しいとされていた「下半身痩せ」に注力する。2015年には港区・芝公園にて「下半身痩せ専門パーソナルジム」を開業し、下半身痩せの専門家として活動を開始する。2020年から活動拠点を銀座に移し、新規顧客・リピーター含め年間200名以上を指導する。トレーニング指導のほか、執筆(WEBメディア・書籍など)YouTube配信・各SNSにて「下半身痩せ情報」を発信している。